ターゲットはウイルスの
タンパク質の働きを阻害する薬
薬の多くは、病気の原因となるタンパク質に結合し、その働きを阻害することで効果を発揮します。このため、ドラッグリポジショニングでは、新たな病気の原因となるタンパク質に結合する既存薬を探すことが最初のステップとなります。このステップを実験で行う場合は、タンパク質と薬をたくさん用意する必要があるため、時間も費用もかかりますが、スーパーコンピュータ(スパコン)を使えば、実験よりもずっと速く、安く、タンパク質に結合するものを見つけ出せます。それだけでなく、結合のようすを詳しく調べることで、よりよく結合する(より効果が高いと期待される)ものを的確に絞り込むことができるのです。
新型コロナウイルス感染症治療薬の候補の1つとして、ウイルスが増殖するときに必要な「メインプロテアーゼ」というタンパク質の働きを阻害する既存薬が有望だと考えられています。私たちはその中でも抗HIV薬のロピナビルとリトナビルについて、どちらがよりよく結合するかを、3つの手法を段階的に使って詳しく調べました。手法の1つひとつはほかの研究者も使っていますが、組み合わせて使っている研究者はあまりおらず、そこが私たちの独自性となっています。
タンパク質のポケット内の薬の動きを
詳細にとらえる
第1段階に用いたのは「ドッキングシミュレーション」という手法で、薬がタンパク質のポケットに入るかどうかをパズルのように調べる方法です(図1)。これにより、ロピナビルとリトナビルがメインプロテアーゼのポケットに入っている向きなどを大まかにとらえました。
しかし、タンパク質も薬も体内ではグニャグニャと動いている上に、周囲には水がたくさんあります。この有様をとらえるため、第2段階として「分子動力学(MD)シミュレーション」という手法で、タンパク質とポケットに入った薬の動きを描き出しました。その結果、リトナビルのほうがポケットに深く入り込んでいることがわかりました。
図1 ロピナビルのドッキングシミュレーション
この手法は、多数の既存薬の中からタンパク質に結合するものをふるい分けるのによく使われるが、今回は、ロピナビルとリトナビルがポケットに入っているようすを大まかに知るのに用いた。タンパク質と薬は、とりうる形がそれぞれいくつもあるので、その組み合わせの中でうまく収まるものがあるかを探す。
図2 分子動力学(MD)シミュレーションで描き出されたロピナビル(左)とリトナビル(右)の動きの違い
新型コロナウイルスがつくるメインプロテアーゼ(図ではグレーで一部を示す)のポケット内で2種類の抗HIV薬が動くようすを調べた(MDは、molecular dynamicsの略) 。この手法では、個々の原子が、原子間に働く様々な力を受けながら動いていくようす(位置と速度の変化)を、ニュートンの運動方程式に基づいて短い時間刻みで次々に計算していく(計算には水分子の動きも含めているが、図では示していない)。ロピナビルはポケット内での動きが大きく、分子の一部がポケットからはみ出す場面も多く見られるのに対し、リトナビルはポケット内にほぼとどまっていることがわかった。
第3段階は、「高精度量子化学計算」です。メインプロテアーゼを構成するアミノ酸と薬の結合がどれだけ安定か(結合自由エネルギーが低いか)をアミノ酸ごとに計算した結果、リトナビルのほうがロピナビルよりも安定な結合箇所が多いことがわかりました。
図3 高精度量子化学計算によって明らかになったアミノ酸単位の結合のようす
量子化学計算(以下、FMO)とは、原子や分子の状態を量子力学に基づいて表し、原子や分子の配置やエネルギーを求める計算。エネルギーはMDシミュレーションでも求まるが、FMOのほうが精密である。左のチャートは、メインプロテアーゼのアミノ酸ごとに薬との結合自由エネルギーを求めたもので、MDシミュレーション(左上)と量子化学計算(左下)を並べてある。結合自由エネルギーが低い(グラフが下向きに大きい)ほど、結合が安定で強いことを示す。MDシミュレーションでは結合が認められなかったアミノ酸との結合もFMOでは認められる。ここには示していないが、FMOでは、結合の安定化の程度だけでなく、薬とアミノ酸のどのような相互作用が結合の安定化に寄与しているかも知ることができ、薬とタンパク質の結合をより詳細に検討できる。右側は、ポケット内面のアミノ酸のうち、MDシミュレーションで薬との結合が強いことがわかったアミノ酸に色をつけたもの。右上がロピナビルで、右下がリトナビル。青に近いほど、結合が安定で強い。
私たちは新型コロナウイルスのパンデミックが始まって間もない2020年6月に、上記の計算結果をいち早く論文発表しました。その後、残念ながらこれらの薬は治療薬候補から外れてしまいましたが、3段階で薬の候補を予測する方法を用いて、既存薬以外の化合物からも候補探索を行っています。また、膨大な計算量が必要なMDシミュレーションを、Cygnusの特徴を生かして効率的に行う独自の方法も開発しています。これらを通じて、広く新たな薬の開発のスピードアップに貢献できればと考えています。
重田 育照(筑波大学 計算科学研究センター)
Project Name /
高精度計算創薬科学
(取材・執筆:青山 聖子 サイテック・コミュニケーションズ / ポートレート撮影・ウェブデザイン:株式会社ゼロ・グラフィックス)