一長一短ある「正常性バイアス」の作用
地震などの災害が起きた時、「たいしたことにはならない」「自分だけは大丈夫」と思ったことはないでしょうか。災害心理学の分野では、このような心理を「正常性バイアス」と呼びます。非常事態に心が通常どおり作動すると、ストレスで疲弊して何もできなくなります。それを避けるため、自分を守るメカニズムが働いて心が鈍感になるのです。
水害など単発的な災害では、正常性バイアスが生じることがこれまでの研究でわかっています。しかし、コロナのような慢性的・長期的な災害では、まだそれが確認されていませんでした。私たちは今回の研究を通じて、コロナ禍でも正常性バイアスが確認でき、それがうつやストレスの低減に役立っている一方、不要不急の外出や感染者への怒りなどにもつながっていることを、学術的に初めて明らかにしました。
調査対象は東京都在住の20~60代710名です。図1のとおり、彼らに2回調査を実施し、Time1~Time3までの3期について、コロナに対する認知や行動を聞きました。
図1 調査対象期間。2020年7月中旬に実施した1回目の調査では、緊急事態宣言の期間(Time1)の状態とそれ以降の期間(Time2)の状態を、同年9月中旬に実施した2回目の調査では、1回目の調査から2回目の調査時点までの期間(Time3)の状態を聞いた。2021年2月中旬に3回目の調査を実施している。インターネット調査会社を通じて実施。男女、年代が均等になるように対象者を抽出した。
表1は質問項目の中心で、どのような正常性バイアスがあるかを測る内容ものです。これら5項目について、「自分」と「一般的な日本人」にそれぞれどの程度当てはまるかを答えてもらいました。
質問項目 | どの正常性バイアスを測っているか |
新型コロナウイルスに感染すると思っていた | 感染可能性 |
感染予防の対策をとっていた | 感染予防の自覚 |
政府からの要請(自粛)を守っていた | 自粛の自覚 |
感染者は日々増えると思っていた | 感染者増加可能性 |
感染拡大の状況は、すぐに終息すると思っていた | 終息の予期 |
表1 正常性バイアスを測る質問項目。「全くそう思わない」から「非常にそう思う」までの7段階で回答してもらった。
調査結果を見ると、全期間・全設問に共通して「自分」に対しては正常性バイアスが、「一般的な日本人」に対しては悲観的バイアスが働く傾向がありました。たとえば、Time2の時期に感染可能性を聞いた結果は、図2のとおりです。
図2 Time2 における「自分」と「一般的な日本人」の感染可能性を聞いた設問の集計結果。「自分」と「一般的な日本人」についての認識には統計的にも有意な差が認められた。
加えて、人によってどの正常性バイアスが強いかは異なり、そのタイプによって行動や反応に違いが出ることがわかりました(図3)。
図3を見ればわかるとおり、どの正常性バイアスも、利益・不利益の両方をもたらします。うつやストレスが低く抑えられる側面もあれば、感染者への怒りや非自粛行動につながる側面もあるのです。
興味深いのは「感染予防ができている」という正常性バイアスの強いタイプです。この場合、本人はストレスを感じにくく、他者に対しても寛容で、短期的には状況に適応しているように見えます。しかし、3期にわたる影響を見ると、外出などの非自粛行動につながることがわかりました。
このように正常性バイアスは、利益をもたらすと同時に、われわれを危険にさらす役回りも演じます。これは人間が進化の過程で身につけてきたメカニズムですから、完全になくすのは難しいでしょう。しかし、正常性バイアスの存在を多くの人に知ってもらえれば、災害時の行動が変わってくるかもしれません。私は、そこに本研究の社会的意義があるのではないかと考えています。
図3 正常性バイアスのタイプによる行動や反応の違い。うつやストレスを計測する際はDASS-21日本語版(三谷・村上・今村, 2015)の抑うつ下位尺度7項目およびストレス下位尺度7項目を使用した。
研究のさらなる広がり
今後はさらに調査を続け、正常性バイアスの長期的な影響を追うとともに、正常性バイアスに個人差が見られる理由、また正常性バイアスの適応的な側面だけを残す方法を探っていきたいと考えています。
外山 美樹(筑波大学 人間系)
Project Name /
非常事態下の人々の行動メカニズム
(取材・執筆:松本 香織 / 編集:サイテック・コミュニケーションズ / ポートレート撮影・ウェブデザイン:株式会社ゼロ・グラフィックス)